流されているのか、選んでいるのか

毎日、

やることがある。

幸せなことだ。

周りに、

自分を必要としてくれる人がいる。

なんて幸せなことだろう。

ただ、

これを繰り返していては、

きっと、

人生が終わった時に、

圧倒的な達成感は得られない。

積み上げの行動には甘えが出る。

人は流される。

大なり小なり、

流される。

少なくとも自分はそうだ。

突き詰めて考えると(あまり)必要のないことに、

多くの時間を割いている。

自分の居場所を確保するためなのか、

プライドのためなのか、

ただ、

心地よいからなのか。

無論、

必要かどうかはゴールが無いことには定義はできないので、

目標が無い人にとっては、

無意も有意もないのだが。。

元々持っている能力以上に、

人生の総生産を落とすのは、

これが原因では無いかと思う。

よく、

「なんのためにこの仕事をしているの?」

という質問を目にしたり、

耳にしたりする。

たしかに、

そういう質問をぶつけたくなるシーンは少なくない。

でも、最近ハラオチしてるのは、

大半といって差し障りが無いほど多くの人は、

人生の目的も、

具体的な使命感も、

かくあるべし的な哲学も、

あまり気にしていないということ。

流されることを許容しているという否定的な意味でなく、

一つの意思として、

そういう生き方を選んでいると思っている。

もちろん、

そうではなく、

ただただ意志を持たずに流されまくっている人も多いわけだが、

“こうしたい”“ここに向かいたい”と思っている人間の意志に、

ある種の自己投影をし、

ストレス無く自らの意志と同化させることができる人が、

想像以上に多いということ。

そういう発見だ。

組織を運営する際に意識しているのは、

そのメンバーが深層心理ではどういうタイプなのかを見極めること。

0⇔100もないし、100⇔0もない。

時期にもよるし、

成長段階にもよる。

定期的に向き合い、

流されているのか、

自ら流れているのか(笑)

を、

見極めなければならない。

自分は自分で、

常に自分と向き合い、

常に磨きをかける。

役割分担を間違えず、

掲げた目標に向かって、

一つ一つ、

いや、

二つ飛ばしくらいの勢いで階段を登って行きたい。

そういえば、

神様マイケルジョーダンが、

ついに単独でNBAのチームを買収した。

その額250億円という。

意志がなくては、

フツウはたどり着けない。

いい目標ができた。

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