4・5年前までは、
同業を含めた成長している企業の業績や社員数、
オフィスを移転したと聞けばその規模や内装のオシャレさ、
上場するだの準備中だのという都市伝説のような噂の数々に、
恥ずかしながら敏感に反応していた。
最近、
不思議と興味がない。
それは諦めたわけでもなく、
逆に達観したわけでもなく、
自分の中ではむしろ野心満々という感じで変わりはない
時間をもてあましているので、
ちょっと考察してみる。
振り返ってみると、
この感覚はちょうど1年前くらいから感じていて、
その頃から、
起業してからもなんだかんだあった仕事とは関係のない飲みは、
ほぼゼロになった。
それは、
「少しだけ心の余裕が出来てきたからかな」
とか思ってみたけれど、
どうやらそうではなさそうだ。
幼い頃から、
なぜかちょっとませていて、
人間というのは、
『所詮比較の生き物』
だと思ってきた。
言い方を変えると、
『“相対”でモノを考える生き物』
だと思ってきた。
怒り、妬み、嫉み、悲しみ、憎しみ、羨み、引け目・・・、
人の心には様々な負の感情があるけれど、
妬み、嫉み、羨み、引け目の大半は、
心のどこかで、
誰かと自分を比較をしているから生まれるものだと思っている。
他に誰も居ない島でのんびり過ごしていたら、
きっとそんなことは感じないし、考えない。
つまり、
誰かと比較してしまうから、
様々な感情が生まれる。
自分がそういったことに対する興味が減退したのは、
単純に、
『無駄に人と比較しなくなった』
からだと思う。
では、
なぜ人と無駄に比較しなくなったのか。
理由を5つほど思いついた
①攻めの選択肢が増えたからそっちに夢中
まだまだ弱小企業なのでほんの少しだけれども、
最近は攻めの選択肢が増え、
その先にあるものを想像しながら、
ワクワクしながら過ごすことができている。
そっちに夢中で、
周囲のことに対しては、
相対的に興味が減退しているのだろう。
②インターネットの持つ可能性が癒してくれる
インターネットは本当に革命だと思う。
もはやそんなことは論じるまでもないが、
20年前、30年前、40年前の大企業の“出来上がり方”と、
この15年の大企業の“出来上がり方”は明らかに変わった。
ソニーは、設立して35年後に売上高が1兆円を突破した。
ソフトバンクは、24年で売上高が1兆円を突破した。
googleは、創業わずか9年で突破した。
それは、
リスティング広告という仕組みを、
“発明”
したからだ。
先日、
社員数6・7名だった時に何度も飲ませてもらった先輩の会社が、
プロ野球のオールスター戦のスポンサー企業になっていた。
その時、
「すごいっ!なんてロマンがあるんだ!」
と素直に喜べた。
昔だったらちょっと羨んでいたかもしれないが、
すごく勇気とパワーを頂いた。
インターネットは、
あらゆるものを変えているが、
明らかに会社の創り方も伸ばし方も変えたと思う。
自分にそれができるかはわからないけれど、
少なくとも、
偉大な企業を創り上げるために、
「何十年という歳月が絶対に必要」
という制約条件は取り除いてくれた。
何百万社もある中で、
ごくごく少数の企業しかその果実を掴んでいないけれど、
ゼロではないという事実で十分だ。
我ながらポジティブすぎるけれど、
言い訳が出来ない環境だから、
分かりやすい。
③短期的な成長の怖さ、続けることの難しさをより知った
3つ目の理由は、
焦って大きくすることの怖さを知ったことかなと思う。
出歩かなくなったから情報自体は減ったけど、
24・5歳当時に耳にしていた企業の多くが、
今も成長を続けているかといえばそうではない。
大きく勝つことも大切だけれども、
負けずに続ける大切さも、
知ったのだと思う。
もちろん仕掛けるタイミングが来たら、
しっかりとbetしたいと思う。
④凡庸なものと本質的なものとを少しだけ見極められるようになった
そんなこんなであまり周囲と比較しなくなってくると、
同時に凡庸なものが見え、
それらに興味がなくなってくる。
力の抜き方と割き方が、
ちょっと分かってきたのかもしれない。
⑤一生という大きな流れでとらえられるようになった
最後は、
③にも似ているけれど、
「結局は“最後に”勝っていなければならないと思うから」
だと思う。
一生という大きな流れの中で、
どう自分を高めていくかという命題により強い興味が沸いてきたから、
きっと、身近な比較に関心がなくなってきたのだと思う。
と、
分かったようなことを書いてみたが、
『無駄に』
と付け加えたように、
そんなに人間が出来ていないので、
まだまだ人を羨んだり、引け目を感じたりする日々。
人生は本当に、
“人格修養の旅路”
だと思う。
妬まず、羨ましがらず、引け目を感じず、
自分や組織の目標に向かって、
まっすぐに成長していきたいものだ。