無意識の自己肯定に気づく重要性

「でも以前よりは良くなっていますよ」
「ただ改善はしています」
「自分は出来てます」

日常的に飛び交うこんな言葉、本当にそうだろうか。

 

今週、採用サイトの位置づけや目的を議論している際にも、近しいやり取りになった。

確かに、実際には、そうなのかもしれない。
無論、数値で証明できるものであればよい。

しかしながら、
圧倒的に突き抜けられていない以上、
目的が達成されていない以上、必要以上に自己肯定をしてもしょうがない。
残念ながら、不毛だ。

今回気になったのは、それが「無意識にやってしまっている」ことだ。

 

人は無意識に自己肯定したがる生き物だ。

その間自分なりに正しいと思って生きてきた時間を否定しないなんて人はいない。

時には、自己肯定するために何かの対象物を攻撃したり、対象物と自分とをバランスを欠いた比較をすることによって悦に入ったり、反論されない場で一方的に非難したりすることで、精神を保つ人さえいる。

ただ、そんなことをしても何も生まれないし、そもそも楽しくない。

自己肯定している間は、劇的な成長はない。

 

必要以上の自己否定は精神を壊す要因にもなるし、単純に楽しくないけど(笑)、
それでもやはり自己否定を続けなければならない。

なぜなら目標があるから。

たどり着きたい場所に、現実にたどり着けていないから。

 

意識的にプライドにしがみついたり、
自分のメンツを保つために意固地になったりしている人はずっとやっていればいい。

「自分はそこは大丈夫。自分は謙虚に吸収できている」と思っている真面目な諸君(自分も含む)、是非”無意識に”自己肯定している自分に気づこう。

まだまだ変われる。
いや、気付いて変わらなければ、あっという間に老いていってしまう。

真に謙虚になり、自己否定を繰り返し、貪欲に、
インプット、変化、行動を、起こそう。

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