“やる気スイッチ”が見つかった時にもう一つ大切なこと

最近ちょっとあることを変えてみた。

ざっくりと言えば、

『無理にやる気を引き出そうとすることを止めてみている』

どこかのどなたかが

「やる気を管理することを止めた」的なエントリーをされているのを見て考えたことだが、

たしかに、

「誰かに焚きつけられたやる気はすぐになくなる」

というのは真理だと思う。

かと言って「勝手にしろ」ではマネージャー(管理者)の怠慢というものだろう。

管理された(焚きつけられた)やる気は続かない。

自ら気づき、欲し、求めた上でのやる気じゃないと続かない。

その上で、

どうやって「気づかせ、欲させ、求めたくならせるか」について、

曲がりなりにもマネジメントをさせてもらう者として、

アプローチを変えてみている。

アプローチ中なので詳細はここでは控えるけれど、

簡単なところで言えば、

・飲み会で熱く語る的な“啓蒙的アプローチ”を行わない

・求めてるくメンバーを徹底的に愛す

・結果的に(えこひいきではなく実力の)差を意図的に作る

このあたりだろうか。

これがなかなか難しい。

極論と言われるかもしれないが、

人は基本人には変えられないし、

教育もマネジメントもその前提から入るべきだと思う。

(今まで、自分が多くの書物、先輩から学んだことを自分なりに解釈して、

そのエッセンスを多くのメンバーに話してきたつもりだ。

ただ、一体どれだけのメンバーがその行動を変えただろうか。

もうそれは悲しみをとうに通り越して(笑)、

全く皆無と言っていいと思う。

開き直りではなく、今ならそれをなんなく受け入れられる)

振り返ってみて自分はどうだろうか。

自分はそれなりに多くの方々の教えを素直に聞き入れて来たと思う。

両親の教えも、祖父の教えも、

小学校の時の辻先生の教えも、

中学校の時の天野先生の教えも、

高校の時の中藪先生の教えても、

大学時代の小林ママの教えも、

レイス時代の中島さん、田中さん、藤さんの教えも、

そしてこれまでに読んだ何百冊の書物からの教えも、、、

一角の人物になるために必要だと思えば、

とにかく素直に聞いて、理解し、実行に移してきた。

ただ、それは実は、

結局のところ『自分が欲していたから』に他ならない。

同じ金言の数々を浴びせられたところで、

同じ結果にはなっていない。

それは同じ環境で育った兄弟であっても育ち方が違う。

素直に実行しない人がやる気がないということではなく、

結局、

やる気スイッチは本人にしか押せないということなんだと思う。

自分でしか自分を変えられない。

マネジメントはそのきっかけを与えるところまでしかできないけれど、

それで十分やりがいをもてる。

“やる気の管理”だなんて烏滸がましい。

夢中になることを見つけるための知識の習得を勧める。

高い目標を達成する喜びを手に入れるために低い目標の成功体験を積み上げる。

自らやる気スイッチを押した人間は、強い。

(ソニーの昔の求人。やっぱりソニーはこうでなくちゃにひひ

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