部下を厳しく指導できないマネージャーの2つの本質

全社飲み会で2名のmgrと1名のmgr候補に話したことを、

他のメンバーにも知ってもらいたいので備忘録エントリー。

テーマは、

「部下を厳しく指導できないマネージャー」

について。

プレジデントみたいな雑誌とかでこの手の話題になる時、

そのタイプのマネージャーの多くは、

「嫌われたくないから厳しくできないんだ」という論調が多く、

やれ「普段から信頼を貯めよう」だの、

やれ「メンバーのことを本気で思うなら厳しく指導せよ」だの、

「現代の若者はこう褒めてから・・・云々」的なアプローチが多い気がする。

1つは確かに「保身」なのだが、

僕はもう1つ理由があると思っている。

例えば、

世の中のマネージャーに「厳しく指導できていますか?」と聞けば、

大半のマネージャーが、

「自分なりに厳しく指導している」

と答えるのではないかと思う。

そう感じているマネージャーに、

「君は保身の意識が強すぎる」

と伝えても何も響かない。

本人は「指導できている」と思っているのだから。

その時話をしていた現mgrも同じような反応だった。

僕が伝えたこと。

それは、

「マネージャーからの期待が低いからダメなんだよ。


期待が低いから実力とのギャップが生まれず、


指導するポイントが少ないんだ。


今抱えている目標に手が届きそうならすぐに目標を上げようよ。


本人が『えっ?』ってなるくらいの目標を掲げようよ。


120を目指しての125よりも、


150を掲げての130、200を掲げての150の方が成長している。


成長は達成率じゃない、絶対値。


もちろん無茶はダメ。


本人の意志がそこに無いのもダメ。



マネージャーの仕事は、


メンバー1人1人に対して期待をしすぎるくらい期待して、


意図的に“ギャップ”を作って、


さらにその“無茶振り目標”が出来なかったとしても、


甘やかすことなく厳しく指導して、


同時に一緒に成功体験を積むまで汗をかき責任を持って伴走し、


成功・成長という果実を共に手にすることで、


『ついて来て良かった』と感じてもらって一気に大きな信頼を勝ち得ること。



目標が手が届くレベルならメンバーもそこそこ出来ちゃうから、


そもそも指導するポイントがない。


それで声張り上げてたら単なる変な人。



保身だけで指導できないんじゃなくて、


そもそも指導する必要がある機会を作っていないだけ。


そのメカニズムに気付けていないだけ。



だと伝えた。

めちゃくちゃ偉そうだけど、

本当にそう思っているし、

メンバー自身が気付いていない能力を引き出せなくて、

何がマネージャーだと聞きたい。

と、言いながら、

「でも、僕が甘やかしてきたんだよなー」

ということに気付き補足し、

改めて目標設定とは何か、

マネージャーの役割とは何か、

成長とは何かについて考えるいいきっかけになった。

み〇ー、サンキュー。

た〇のを引き上げてくれよ。

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経営者の原体験と自分の幼少期

堀江さんの新著「ゼロ」を読んだ。

ご両親の「せからしか!」の件、

「ヒッチハイク」の件、

「東進ハイスクールの関連会社での初仕事」の件、

「東大で卓を囲んだポスドクの先輩」の件、

どれをとっても全てが繋がっていて、

スティーブジョブスの「コネクティングドッツ」を思い出しながら、

一気に読ませて頂いた。

先週、一つの動画を見た。

ソフトバンク株式会社

2014年3月期第2四半期 決算説明会(動画)

http://webcast.softbank.co.jp/ja/results/20131031/index.html

冒頭に出てくる孫社長の「虹の根っこ」の話。

これも幼少期の思い出の話であり、

孫社長の原体験なのだと思う。

孫社長の幼少期からのエピソードは何度も読んだけれど、

今回の堀江さん同様、

お二人とも特別恵まれた家庭環境にあったわけではなく、

(むしろちょっと可哀想な境遇ともいえる)

我々と同じように田舎で幼少期を過ごし、

色んな出会いや情報や偶然が連鎖する中で、

自らの意思で人生を切り開いている。

お二人に共通しているのは、

幼い頃から純粋であったこと、

そして今もそう大きくは変わっていないこと、

目的に対して真っ直ぐなこと、

できると信じていること、

こんなところだろうか。

自分の周りを見ても、

有能な人材が周囲に集う経営者の多くは、

こんなタイプの方々が多い気がする。

こう思うと、

大人になってからの価値観の多くは、

やはり幼少期に形作られていると感じる。

勢いで、

自分自身の幼少期をを振り返ってみる。

兄が2人いて、

おじいちゃんおばあちゃんが先生で、

両親が自営業だったことは、

紛れも無く今の自分を形作っている。

教育者だった祖父には厳しくしつけられ、

何度も庭にある木に縄で縛り付けられ、

何度も裏口から出てきたおばあちゃんに助けられた。

兄は岩で囲まれた池に放り投げられたことがあると聞くから、

今思えば十分虐待の範疇だ。

炊き立てのご飯は必ずご仏前に供えられ、

一時は毎晩お経を読んでからの夕食だった。

一番上の兄がよく父と衝突し、

2番目の兄はよくいじめられていた。

そんな2人を憂うおじいちゃんとおばあちゃんに喜んでもらいたくて、

通知表の数値を気にしていたし、

学級委員や生徒会長をやったのも、

すべて、

おじいちゃんとおばあちゃんと両親を喜ばせたかったのと、

自分が頑張れば、

2番目の兄をなぜか守れると思っていたからだ。

そこで人の前に立つことに対する免疫や自信がついたわけだから、

こんなことを書くと怒られそうだけど、

2人の兄貴が自分に劣等感を植え付けるほど優秀じゃなかったことに、

感謝したい(笑)

お年玉とその年のお小遣いは、

年末の父との1対1での面談で決まる。

これが1年のメインイベントと言ってもいい。

その1年、

何をどれくらい頑張ったかをプレゼンするのだ。

「期末テストで〇番だった。」

「お風呂掃除は欠かさずやった」

「お盆のお墓掃除は・・・」

という具合にプレゼンをして、

父がそれぞれ、300円、500円、200円と根付けをしていく。

巧みにコントロールされたその単価は、

総額でも3000円程度にしかならなかったけど、

2人の兄に勝ちたくて、

自然と頑張っていた自分がいた。

今思えばフェアで競争の中で高めあうことの大切さを、

僕は父とのお年玉プレゼンから学んだ。

その時に、

「学年で20番以内に入ったら庭にバスケットゴールを買ってもらう」

と約束し、

結果24番だったのに買ってくれたことはずっと忘れない。

小さいながらお金を稼ぐことも教えてくれた。

離れにある敷地にあった古びた自動販売機を、

兄弟3人で切り盛りするように言われた。

その時の実家は市内でコンビニを経営していたので、

毎日3人で売れ筋商品を議論し、

両親に電話で発注をかけ、

深夜に台車に乗せて補充をしにいき、

小銭を握り締めてドキドキしながら帰宅した。

居間の床に小銭をひろげ、

カウントしてノートに書き溜めていく。

儲かった分からしかお小遣いはもらえない仕組みだったので、

電気代とかコストを差し引いて、

毎晩一喜一憂しながら、

自動販売機の“マーケティング”を頑張った。

とにかく楽しかった。

小学生の頃から両親のお店を手伝い、

ビールを配達し、

中学生の時にはレジに立ち、

商品の陳列方法を考えたり、

頻繁にジュースの補充をしたり、

袋への商品の入れ方渡し方を研究した。

これが大学でのバイトでの高評価に繋がる。

田舎として名高い富山県の中でも、

最後まで中学校は坊主を強制するような田舎町で、

父は何度もホームステイを受け入れた。

朝起きたら家にマレーシア人とブルネイ人がいたこともあった。

ブルネイが無税でとんでもなく裕福な国であることもその時知った。

アメリカ人のケビンとは庭で何度も1on1をやった。

日本という国に留学し、

ホームステイ先がど田舎の我が家だった彼らには申し訳ないが、

僕の人格を形成する上で、

ホストファミリーの経験は外せない。

父はことあるごとに地球儀を見せてくれた。

「陽〇はアメリカ、し〇んはフランス、

紘太はオーストラリアに行きなさい。」

未だになぜ僕がオーストラリアだったのかはなぞだけど、

中学2年にアメリカにホームステイをさせてくれて、

高校1年の時にオックスフォードに1ヶ月間短期留学させてもらった。

高校3年になる頃には、

早く東京に行きたくて、

早く世界中を飛びまわりたくて、

どこでもいいから東京の大学に行きたかった。

4月に大学に入学し、

バイトを2つ掛け持ちし、

9月にヨーロッパ一週バックパックの旅に出たことは必然で、

その後もバイトと海外旅行を繰り返した。

そこから起業を志すまでの流れも繋がっている。

自分もきっと昔からずっと変わっていないし、

父の教育方針や中山家の教育方針が無ければ、

今の自分の価値観は形成されていない。

何のために頑張り、

何のために働き、

人生を何の場ととらえるか。

そんなことだけを考えている訳ではないけれど、

目的を見失わないように、

それなりの時間を費やして考えてきた。

だからこそ、

手を抜くなんて考えられないし、

怠惰に生きることなどただのわがままだと思っている。

堀江さんの著書にもあるように、

自分自身もも能力が無いことが分かっているから組織を創る。

こんな自分に何かしらの可能性を感じてくれて、

集ってくれた仲間と共に、

大きなことを成し遂げたい。

数%は、

おじいちゃんおばあちゃんに喜んでもらいたいからかもしれない。

数%は、

あの時の年末のように、

父親にアピールしたいからかもしれない。

色んな動機があると思うけど、

これからも自分に正直に、

素敵なことが起こることだけを信じて、

努力を続けていきたい。

幼い頃から夢を見ているように、

世界中の人たちと、

僕は繋がりたい。

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