“あの日”から10年間

そこかしこで報道されているように、

あの日から10年が経過した。

10年間。

日本に生まれ、

特に特定の拠り所をもたない人間がこんなことを書くと、

格好をつけているように思われるかも知れないが、

“あの日”を境に、

人生に向き合う姿勢が大きく変化した。

“あの日”、

僕は友人2人とロサンゼルスにいた。

大学3年の夏の終わり。

目が覚めて、

16日間に及ぶ西海岸旅行の最終日を楽しむべく、

出発の準備をしながら何気なくつけたテレビに、

僕らはかじりついた。

いや、

恥ずかしながら、

テレビを見ながら大騒ぎしていた。

「一体何なんだよ。え~。まぢで~。撮影かなんかじゃないの?」

こんな程度だった。

徐々にえも言われぬ不安がこみ上げてきて、

部屋を飛び出す。

翌朝のフライトに備えて宿泊していた、

LAX近くの小さなモーテルのおじさんが、

神妙な面持ちで答える。

「これからジハード(聖戦)が始まる。

イスラムとの戦争だ。

次はロスかもしれない。

明日のフライト?

しばらく帰れないと思っておいたほうがいい。」

映画でしか聞いたことの無かった言葉を耳にし、

急に怖くなって走って部屋に戻り、

言われたままを友人に伝えた。

(一体これは何なんだ)

長い長い1日だった。

数日後、

LAの空港周辺の厳戒態勢も解かれ、

日本からJALが飛ばしてくれた臨時便に乗ることが出来、

何とか帰国することが出来た。

成田空港での友人たちとの別れも、

一般の大学生の海外旅行帰りのそれとはかけ離れた、

後味の悪いものだったと記憶している。

11日の朝から帰りの機中に至るまで、

僕は考え続けた。

それまでで最も集中していた時間だったかもしれない。

必死に、

これから先をどう生きるかについて考えた。

ニューヨークでもない、

身内が巻き込まれたわけでもない、

ただロサンゼルスという場所であの日を迎えただけなのだが、

自分には、

関係ないことだと思えなかったのだ。

当時は真剣に第3次世界大戦が始まると思ったし、

これで国家という概念が無くなるのかと思った。

国境によってはではなく、

同じ信条を共にする人たちで世界が再構築されるのだと思った。

僕は誰と組むのだろう、

日本は1つのままなのだろうかと、

そんなことまで考えた。

世界史や日本史についてあまりに無知な自分を恥じたのも、

その時が初めてだったと思う。

ただ人は、

自分の想像をはるかに超えた事態に直面したとき、

いろんなものに気づくのかもしれない。

先祖のバトンを受けとった大切な人生を、

どう生ききるかについて、

その時ほど考えたことは無い。

実は、

“あの日”からもう1年前、

僕はNYのワールドトレードセンターに上っている。

ニューヨーク遊学中のことだ。

後で一緒に学校に通っていた友人が教えてくれたのだが、

全く同じ9月11日にも僕らは上っているのだという。

2ヶ月間のニューヨーク旅行の間に3・4回は上ったと思う。

WTCから見渡すマンハッタンは、

それくらい感動的なものだった。

大学2年生の夏、

海外に、

とりわけアメリカに憧れていた僕は、

「将来はニューヨークにオフィスを構えるような会社を創るんだ」と、

何の疑問も持たずに起業を夢見ていた。

その思い出の場所が、

1年後の同じ日に、

映像の中で崩壊した。

それも信じられないきっかけによって。

勝手に未来を重ね合わせていた憧れのアメリカで、

ナルシスティック過ぎるかもしれないが、

「もしかしたら自分の命も・・・」という思いが去来し、

強烈な危機感が芽生えたのかもしれない。

機内食も手をつけずに、

食事用にもらったナプキンの裏に、

頭をよぎったことを書きなぐった。

これから始まる日常に対する得体の知れない焦燥感と、

世界が一瞬にしてひっくり返ってしまう事実に対する虚無感を

必死に打ち消したいからなのか、

1度しかない人生の中で何を成し遂げたいかを、

思いつくままに書き綴った。

帰国後に整理した、

何十項目に及ぶその目標を実現すると心に決め、

1年前まではおぼろげだった“起業”という目標も、

まずは「25歳で事業を興す」という目標に置き換えた。

どこかの啓発本ではないが、

自分の人生を幾つかのステージに分け、

まずは、

次のステージに控える世界への挑戦権として資金と、

その先にある、

場所としての世界に対して影響力を持つための人間力を備えるのだと、

心に決めたのだ。

その日から10年。

自分にとっては特別な9.11から、

10年が経過した。

8月のお盆のあたりから時間を作り、

お盆が明けた週から、

10年ぶりにロサンゼルスに足を運んだ。

どこかで、

この10年を振り返るきっかけが欲しかったのだと思う。

他人の人生の振り返りなど、

多くの場合はあまり面白いものではないので控えるが、

まだまだ全く努力が足りない。

全然ダメダメだ。

こんな程度だったのかと悔やむことこそすれ、

よくやったと褒めることなど無い。

世間が時間の経過とともに多くの悲しみや怒りを風化させていくように、

自分自身も、

1分1秒を惜しんで自分を追い込んできたかと問われれば、

恥ずかしくて顔を上げることなど出来やしない。

6ヶ月前の震災のときも無力さを痛感した。

とにかく、

社会的に1ミリも影響を与えることが出来ない自分に、

ただただ情けなくなる。

こんなブログを書いているけれど、

結局は“普通”なのだ。

このままでは、

目標を全て達成することはきっと無い。

痛ましい事件や事故をきっかけにすることなど出来ないが、

無駄には出来ない。

気づき、振り返り、弱い自分を追い込み、

異常とも言えるような努力の入り口としたい。

10年間という時間の中で、

孫正義氏が成し遂げたことを直視しなければならない。

ビルゲイツがあと10年本気でマイクロソフトを牽引したら、、、

すい臓癌に苦しむスティーブジョブスに10年という歳月を与えたら、、、。

「彼らは特別だ」と言えば終わり。

「大きなことを成し遂げるための原資(資金)があった」と言うなら、

一刻も早く作るしかない。

みんな、同じ条件なのだから。

偶然に人生を委ねてはならない。

偶然など無いのだから。

母がいつも言っていた。

「世の中に起こることは全て必然なのよ。

無駄なことなんて何一つ無い」

この10年、

そして、

この半年、

やろうと決めて出来たことと、

やろうと決めて出来なかったことを直視し、

次の10年に向けて漕ぎ出そう。

普通では終わらないために。

ルノアールから眺める日曜日の銀座は平和だ。

改めて、

10年前の今日と、

6ヶ月前の今日に、

残念ながら命を亡くされた多くの方々に心から哀悼の意を示し、

とにかく、

健康に今日という日を生きられていることに感謝し、

自分らしく、

命いっぱい、

一生懸命やるだけだ。

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